退会届を書く手が、途中で止まる人がいる
相談所の面談室で、何度も同じ場面を見ました。
用紙を出して、ペンを渡す。理由の欄で手が止まる。
しーん、とした数十秒。
それから、ぽつりと言うんです。
もう、いいかなって。
三十五歳前後の男性が、いちばん多かった。四十でも三十でもなく、そこ。何かの区切りに見えるらしい。
諦めたの中身は、たいてい別の言葉
面談で掘っていくと、諦めたという単語の下から出てくる本音は、ほぼ二種類でした。
これ以上、頑張れと言われたくない。
自分を安売りする作業に耐えられない。
結婚を望まなくなったわけじゃないんですよ。望むために毎週やらされる行為が嫌になっただけ。この二つはまるで違う話なのに、まとめて諦めたと呼ばれてる。
三十五で立ち止まる男には、必ず引き金がある
年齢そのものが理由になることは、まずありません。誕生日に急に何かが壊れるわけがない。
必ず、直前に出来事があります。
収入でも顔でもなく、断られ方で折れる
男が本当に効くのは、断られた事実じゃない。断られた理由の中身です。
一緒にいて楽しくない。
話が続かない。
男性として見られない。
条件を理由に断られた人は、意外と立ち直る。年収が足りないなら稼げばいいし、住む場所は変えられるので。
人格を理由に断られた男が、折れます。直しようがないから。
現場で回復が遅かったのは、必ずこちら側でした。条件で落ちた人は三ヶ月で戻ってくる。人格で落ちた人は、そのまま消える。
周りが一巡して、話す相手が消える年
もうひとつ、三十五という数字が効く理由がある。
友人の結婚ラッシュが、この年で終わるんです。
二十代のうちは、独身仲間がいた。愚痴を言い合えた。飲みにも行けた。
それが一人ずつ抜けていって、気づいたら自分だけ残ってる。誘っても、子どもがまだ小さくて、と返ってくる。
結婚したいという気持ちを、口に出せる相手がいなくなる。言えない期間が長くなると、人は最初から欲しくなかったことにします。そのほうが楽なので。
諦めの正体が、実は孤立だった人を、私は何人も見ました。
諦めた男のほうが、成婚します
これは現場にいた人間として、はっきり言いたい。
七年間、成婚していった男性会員を思い出すと、真面目に毎週お見合いを重ねた人より、一度腐って、もういいやと投げた時期を挟んだ人のほうが多かった。しかも、かなりの差で。
必死さが消えると、相手が喋り出す
理由は単純です。
期待を捨てた男は、面接をやめる。
真剣な時期の男は、目の前の女性を審査してるんですよ。結婚相手として妥当か、子どもを望んでいるか、家事はどうか。相手にはバレます。全部バレてる。じっと観察されながら食事するのが楽しいわけがない。
諦めた男は、それをやらない。どうせ決まらないと思ってるから、ただの雑談になる。目の前の人の話をふつうに聞く。笑う。
その状態が、女性側からはいちばん好ましく見える。皮肉すぎるでしょ。欲しがるのをやめた瞬間に手が届くなんて、できの悪い話みたいで。
退会の相談に来て、その三ヶ月後に成婚した人
三十七歳の男性会員の話を書きます。
二年活動して、成果ゼロに近かった。面談室に来て、辞めます、と言った。私は止めませんでした。止める理由が見つからなかったので。
最後に一件だけ、すでに組んであったお見合いが残っていた。行かなくていいですよ、と伝えたら、彼は行くと言った。断るのも面倒だから、と。
その日の彼は、たぶん人生でいちばん力が抜けていたはずです。
女性側からの返事は、その日のうちに来ました。
三ヶ月後に成婚。
あとで女性のほうに聞いたんです。何が良かったんですか、と。
返ってきた答えが忘れられない。
私を選ぼうとしていない感じが、楽だった、と。
二年間の努力は、全部逆効果だったのか…
面談室でその報告を受けながら、こっちが頭を抱えました。
ただし、諦め方には二種類ある
ここを分けないと危ない。
同じ諦めたでも、中身が正反対の人がいます。
手放した人と、閉じた人
手放した人は、軽くなります。婚活をやめて、趣味に金を使い出して、顔つきが変わる。人と会う量はむしろ増える。
閉じた人は、重くなる。他人の幸せの話を避けるようになって、家から出なくなって、世の中や女性全般への恨みを溜めはじめる。
外から見ると、どちらも独身の三十五歳男性です。本人ですら、自分がどっちか分かっていないことが多い。
判定は、他人の結婚式に出られるかどうか
基準はひとつでいい。
招待状が届いたとき、心の中がどうなるか。
面倒だな、ご祝儀きついな。この程度なら健全です。手放してる。
胃のあたりがぐっと締まって、行きたくない理由を探しはじめたら、閉じてます。まだ全然、終わっていない証拠。
閉じている人に必要なのは婚活じゃありません。話す相手です。順番を間違えると、何年も無駄にします。
結婚しない人生を、私は否定しません
アドバイザーだった人間が言うと変に聞こえるかもしれないけど、本当にそう思ってる。
現場で山ほど離婚の相談も受けたので。結婚したから幸せという話は、あれは半分、宣伝です。
用意しておくといいのは、金より名前
ひとりで生きると決めた人に、実務の話をひとつだけ。
貯金の額を気にする人は多い。そこは各自でやればいい。
抜けがちなのは、緊急連絡先の欄に書ける名前を持っているかどうかです。
入院、手術、事故。あの用紙を、三十五以降は何度も書くことになる。親の名前でしばらくはしのげる。しのげなくなる日が、必ず来ます。
友人でも、従兄弟でも、誰でもいい。年に一度は連絡を取っておく。結婚よりよほど現実的な備えです。
これを言うと縁起でもないと嫌がられるけど、現場で独身のまま親を見送った男性の相談を受けてきた身としては、書かないほうが不誠実だと思ってる。
市場価値の話も、身も蓋もなく書いておく
相談所の中の三十五歳男性は、むしろ売れ筋でした
街コンや恋愛市場では不利かもしれない。相談所は別の世界です。
三十代後半の女性会員が申し込む相手の年齢帯は、だいたい三十五から四十五。この層の男性は、女性側からの申し込みが普通に入ります。二十代の男性会員より多かった月も珍しくない。
理由は単純で、結婚を前提に動ける年齢だと見なされるから。二十代の男性は、真剣度を疑われて敬遠される場面すらありました。
年齢で負けている、という前提そのものが、場所によっては成立していない。
下がるのは年齢じゃなく、更新の止まったプロフィール
実際に厳しくなるのはここです。
何年も同じ写真、同じ趣味欄、同じ自己紹介文。三年前と一文字も変わっていない人がいる。
女性側は、そこを見て止まった人だと判断します。年齢の数字じゃない。何も更新されていないという事実のほうが、ずっと強い減点になる。
逆に言えば、去年始めた何かがひとつあるだけで印象が変わる。資格でも、筋トレでも、サウナでも、なんでもいい。三十五で不利になるのは、諦めが文章に滲み出た人だけです。
もう一度やるかどうか、決めるのは今日じゃなくていい
再開を勧める気はありません。ただ、決断の時期だけ言っておきたい。
折れた直後に決めないでください。あの状態で下した判断は、たいてい半年後にひっくり返ります。
半年、完全に離れる。そのあいだ一切調べない。それでもまだ気になっているなら、そのときは本物です。
逆に、半年経って何とも思わなくなっていたら、それが答え。どちらに転んでも構わない。
年賀状の写真に、知らない女性が写っていた
最後に、ひとりの話を書いて終わります。
退会した男性会員がいました。三十五でした。
辞める理由の欄に、諦めたので、と書いた。
私は引き止めなかった。彼の顔が、へなへなに疲れていたので。
それから三年、音沙汰なし。
ある年の一月、自宅に年賀状が届きました。差出人を見て、誰だか分からなかった。
写真に、彼と、知らない女性が写っていて。
後日、電話をもらって聞きました。
相談所を辞めたあと、地元の消防団に入ったそうです。理由は、暇だったから。深い考えなんてなかった、と本人は笑ってた。
そこで知り合った人だった。
婚活を続けていたら会えなかった相手です。辞めたから会えた。
こんな話、アドバイザーの立場で書いていいのか分からないけど、事実なので書いておく。
彼が電話の最後に言ったことだけ、今も覚えてる。
諦めてよかったです、と。
それから少し間があって、こう続けた。
でも、誰にも会わない生活をしていたら、たぶん無理でしたね、と。
諦めていい。婚活もやめていい。
人に会うのをやめるかどうかだけ、切り分けておいて。
