あなた、一人っ子同士でしょ。大変よ、と言われた夜
悪気はない顔で言われる。
親戚のおばさんとか、職場の先輩とか。
介護が四人分だからね、って。
その場では、そうですねー、と笑って流した。
なのに家に帰ってから頭がぐるぐる回りはじめる。四人。父と母と、義父と義母。数えたことなんてなかった数字が、急にずしっと重くなる。
介護が四人分、という数え方が雑すぎる
まず、あのおばさんの計算に反論しておく。
親の数は、兄弟がいたって同じ四人です。減りません。変わるのは、割る人数が増えるかどうかだけ。
頭数が増えると、決まらなくなる
現場で山ほど見てきた実感を書きます。
兄弟がいる家庭のほうが、親の介護は揉めます。しかも高確率で。
施設に入れるか、実家で見るか。誰が金を出すか。誰が休みを削るか。三人兄弟なら三通りの正義がぶつかる。距離が遠い人ほど理想論を言い、近い人が全部やって、疲れ果てた頃に口だけの兄が現れて方針をひっくり返す。
一人っ子には、その会議がない。
決めるのは自分ひとり。孤独です。でも、速い。
実際、親の入院や施設探しの局面で動きが早かった会員は、圧倒的に一人っ子でした。相談する相手がいないから、自分で調べて自分で決める癖が二十代のうちについてる。
相続で兄弟と切れる、という未来がない
これも書いておきたい。
遺産をめぐって兄弟の縁が切れる話、あなたの周りにもひとつくらいあるでしょ。あれが一人っ子同士には発生しません。分ける相手がいないので。
親の家をどうするかで実の兄と裁判になった女性会員がいました。婚活中ずっとその話をしていて、正直、恋愛どころじゃなかった。何年も引きずってた。
一人っ子同士の家に、あの地獄は来ません。ここは正面から利点だと言い切ります。
本当の地雷は、二人とも喧嘩が下手なこと
ここからが本題。
一人っ子同士の夫婦を何組も見てきて、崩れるときのパターンがはっきりしていた。親の問題じゃなかったんです。
兄弟げんかという実技試験を、受けていない
兄弟がいる家で育つと、日常的に交渉させられます。お菓子の分け方、テレビの権利、風呂の順番。理不尽に負ける経験も、泣いても誰も味方しない経験も、幼児のうちに済ませてる。
一人っ子は、その練習が丸ごとない。
親は理不尽に奪わないから。話せば分かる大人としか暮らしてこなかった。
だから、揉め方を知らないまま結婚する。二人とも。
言い争いが始まった瞬間、どうしていいか分からなくて、黙るか、いきなり全否定するか、極端な二択になる。中間がないんですよ。
わがままだから合わない、という説明をよく見るけど、あれは的外れ。身勝手なんじゃなくて、下手なだけです。
三年間、静かに暮らして離婚届まで行った夫婦
成婚後に相談に戻ってきた夫婦の話を書きます。二人とも一人っ子。周りからは仲がいいと言われていた。喧嘩したことがない、と本人たちも言ってた。
結婚三年目に、奥さんのほうから離婚を切り出した。
理由を聞いて、私は頭を抱えました。
不満を言うタイミングが、三年間見つからなかった、と。
旦那さんは旦那さんで、こう言うんです。何も言われないから、うまくいってると思っていた、と。
しーん、とした面談室の空気を、今でも覚えてる。
どちらも悪くない。ただ、二人とも、その場で不機嫌を出す作法を知らなかった。育った家に怒鳴り声がなかったから、怒りの表し方が離婚届しか思いつかなかったんですよ。
喧嘩ができない家って、こんなふうに壊れるのか…
あの日から、一人っ子同士の会員には必ず同じ話をするようになりました。
小さく揉める練習を、意識的に入れる
処方箋はひとつだけ。
どうでもいいことで、月に一度は言い合ってください。
洗い物の水切りかご。エアコンの温度。休日に何時に起きるか。
どうでもいいから練習になる。取り返しがつく範囲で、不機嫌を相手に見せて、そのあと普通に戻る。この往復ができる夫婦は、大きな問題が来ても壊れません。
仲がいい夫婦じゃなく、揉めても戻れる夫婦を目指したほうがいい。
実家が二軒、資産の顔をして届く
現実的な話も書いておきます。ここは笑い事じゃない。
空き家が二つ、同時に来る年がある
親が四人、家が二軒。年齢が近ければ、その二軒がほぼ同時期に空きます。
売れる立地なら問題ない。売れない場所だと、固定資産税と草刈りと、近所からの苦情がセットでついてくる。
相談所で扱う話じゃないのに、この相談を受けたことが何度もありました。実家じまいの費用で、夫婦が初めて本気で喧嘩した、という報告も。
早めに一度だけ、両家の親に確認しておいて。あの家、どうするつもりでいるのか。聞きにくい。分かってます。でも、聞かなかった人が数年後に泣いてるのを見てきました。
姓と墓は、後回しにしていい話とだめな話がある
どちらの名字を名乗るか。この話は感情がこじれやすいわりに、決めるのは一日で済みます。だから後でいい。
先に決めるべきは墓のほう。
両家に代々の墓があると、片方は必ず継ぐ人がいなくなる。墓じまいには金がかかるし、親が生きているうちにしか進められない手続きも多い。ここを二十年放置した家を知っています。結果、誰も片づけられなくなった。
名字で悩んでいる時間があるなら、墓の話をしてください。順番が逆になってる人が多すぎる。
プレッシャーが四方向から飛んでくる件
子どもの話です。
孫を待っている人が、四人いる
兄弟がいれば、誰かが先に産む。そこで親の期待は分散します。
一人っ子同士には、その避雷針がない。四人の親が、あなたたち二人だけを見てる。悪気なく、正月のたびに聞いてくる。
これは想像以上にきついです。特に治療をしている夫婦にとっては刃物になる。
盾になるのは、実の子のほうが親に伝えること。義理の関係で言い返すと角が立って十年残るけど、実子が言えば一晩で済む。うちの担当分は私が黙らせる、と最初に決めておくだけで、驚くほど楽になります。
子どもを持たない選択をした場合、ふたりで完結できる強みもある
逆の話も書いておく。
一人っ子同士は、親の家も財産も分散しない。子を持たない選択をした場合の身軽さは、他の家庭より明らかに上です。
面談で、それを利点として口にした夫婦がいました。うちは全部、私たちで決めて、私たちで終われる、と。清々しかった。
相性がいい説も、悪い説も、根拠は薄い
一人っ子同士は似た者同士だから合う、という説。逆に、我が強いからぶつかるという説。
どちらも現場では確認できませんでした。
ひとりの時間の量が揃うのは、地味に効く
唯一、はっきり傾向があったのはここ。
一人っ子は、ひとりでいることを寂しさと訳しません。子ども部屋でずっとそうしてきたので。
休日に別々の部屋で過ごしても罪悪感がない。この感覚が揃っている夫婦は、長く保ちます。逆に、片方が大家族育ちだと、その静けさを不仲だと受け取ってしまうことがある。
相性というなら、性格じゃなくてこの部分。誰といないと死ぬのか、ひとりでも平気なのか。そこが揃っているかどうかだけです。
うちは、片方だけ一人っ子です
最後に自分の話を。
夫が一人っ子で、私には妹がいます。だから、内側から両方を見てきました。
結婚した当初、いちばん驚いたのは彼の喧嘩の下手さでした。私が声を荒げると、ぴしゃっと黙る。何時間も黙る。こっちは妹と怒鳴り合って育っているから、言い返してこないことが恐ろしくて仕方なかった。
何年もかかって分かったのは、彼が怒っていたわけじゃないということ。
言い返し方を、本当に知らなかっただけ。
彼の実家では、誰も大声を出したことがなかったそうです。
逆に助けられたこともあって。
義母が入院したとき、彼は誰にも相談せず、二日で全部決めました。病院も、手続きも、費用も。私が実家の妹と方針を三週間すり合わせて疲れ果てたのと、同じ年でした。
ぽつんと、ひとりで決めることに慣れてる人の強さを見た気がした。
一人っ子同士は大変よ、と誰かにまた言われたら、こう返してください。
決めるのが速いので、と。
本当のことなので。
心配すべきは親じゃない。喧嘩の下手な二人が、黙ったまま何年も過ごすことのほうです。今日、水切りかごの位置で軽く揉めておいて。
