喪女がかわいいとされる理由を、鉛筆の走り書きで知った
入会の書類は、みんなボールペンで書く。
年収、学歴、身長、住んでいる場所。
相手に求める条件の欄も、たいていは黒いインクで埋まっているもの。
その日、四十一歳の男性会員が出してきた用紙だけは違った。
余白に、鉛筆の薄い字で一行。
男慣れしていない方だと嬉しいです。
その下には、消しゴムでこすった跡が三回分あった。
恋愛経験がほとんどない女性を、ネットでは喪女と呼ぶ。
もとは自虐のスラングだった。
それがここ数年、かわいいという褒め言葉とセットで語られている。
スマホで調べれば、理由はいくらでも出てくる。
純粋。擦れていない。反応が初々しい。見た目とのギャップ。
全部、間違ってはいない。
ただ、消しゴムの跡を見てしまった人間には、どれもお行儀のいい建前にしか聞こえない。
結婚相談所にいた七年間で、恋愛経験ゼロの女性会員を六十人以上担当した。
現場で見てきたかわいいは、はるかに生々しい。
男慣れしていない方、と書いた彼の本音
面談の途中で、それとなく聞いてみた。
この一行には、何か理由があるんですか。
彼は下を向いて、ボールペンのキャップを何度も付けたり外したりしている。
長い沈黙。
比べられるのが、怖いんです。
絞り出した声は、エアコンの音に負けそうなくらい小さかった。
彼自身、女性とまともにお付き合いしたことのない人だったのよ。
元彼はもっと上手にリードしてくれた。前の人なら、ここで手を握ってたのに。
会うたびに、女性の頭の中でそんな採点が走っている気がして落ち着かないんだとか。
見えない審査員がテーブルの向こうに何人も座っている感じ、と彼は言った。
経験のない人となら、審査員席は空っぽのまま。
だから安心できる。
これを口に出して言える男性は、十人に一人もいない。
残りの九人は、純粋な人がいい、と言い換える。
そっちのほうが、よっぽど聞こえがいいから。
純粋な人がいい、の中身は自信のなさ
喪女がかわいいとされる理由の半分は、男性側の自信のなさでできている。
燃えそうな言い方だけど、引っ込める気はありません。
経験の少ない男性に限った話でもない。
離婚歴のある会員さんも、似たようなことを口にしていた。
前の妻に、あなたといても退屈だと言われまして。
そう打ち明けてくれたのは、四十代後半の男性。
次は恋愛に慣れていない人がいい、と彼は続けた。
退屈かどうかを、そもそも判定しない相手。
彼が探していたのは、たぶんそういう人だった。
責める気は、実はあまりないんです。
臆病な男は、意外とまじめだから。
採点されるのを嫌がる人は、自分も人を採点しない。
やっかいなのは、同じ台詞を、まったく別の動機で口にする男がいること。
こっちは、笑えない。
マネキンを丸ごと着て出かけた初デート
私も初めてのデートは、職場の先輩の紹介だった。
何を着ればいいのか見当もつかず、駅ビルのマネキンが着ている服を一式買った。
帽子まで。
普段、帽子なんて一度もかぶったことのない女が。
前の晩は、洗面所の鏡に向かって笑顔の練習もしました。
口角を上げすぎると、人間ってちょっと怖い顔になるんですね。
あれは大発見。
帰り道、隣を歩く彼の手がこちらに伸びてきた。
とたんに、自分の手のひらがじっとり湿っていくのが分かる。
慌ててスカートで拭いたところを、しっかり見られていた。
緊張してる?かわいいね。
彼に笑われて、顔がカーッと熱くなった。
(今の、どこが?手汗のどこがかわいいの?)
交際が始まったのは、その翌週のこと。
慣れていないところがかわいい、は半年で重いに変わる
付き合って最初の一か月、彼は私の不慣れを何でも面白がった。
ワインの頼み方すら知らない。
LINEは一日に何通送っていいものか、本気で悩む。
これって普通?と聞くたびに、そういうとこ新鮮、と目を細めていた彼。
半年後の夜、同じ質問をした。
返ってきたのは、短い一言。
いちいち聞かないでよ、重いから。
翌月、あっさり振られました(泣)。
理由を聞いたら、付き合いたての頃のほうが良かった、とだけ。
あの頃の私と、別れ話をされた日の私。
違いといえば、知らないことが少し減ったくらいなのに。
今なら分かる。
喪女のかわいさのうち、反応の初々しさだけは、最初から期限つきなんです。
慣れたが最後、跡形もなくなる。
そのとき手元に何が残っているか。
勝負は、そこで決まる。
男が喪女をかわいいと感じる瞬間、その正体
赤くなった顔は、男にとって手応えのメーター
お見合い帰りの男性会員から、上機嫌の報告が入る。
僕の冗談で、彼女、耳まで赤くなっちゃって。
あれはかわいかったなぁ。
へえ、何て言ったんです?と聞くと、得意げに再現が始まる。
十分近くかけて。
相手の女性の話は、ほぼ出てこない。
男が喪女の赤面をかわいいと言うとき、見ているのは相手の顔というより、自分の手応えです。
軽口ひとつで、目の前の人の顔色が変わった。
その実感が、たまらなく気持ちいい。
恋愛慣れした女性は、からかわれても上手に受け流すでしょ。
受け流されると、効いたのかどうか男には分からない。
喪女の反応なら、一目瞭然。
メーターの針が振り切れるのを、かぶりつきで眺めているようなものだから。
喜ばせがいがある、が裏返るとき
ファミレスのパスタを一口食べて、何これおいしい、と目を丸くする。
ドアを押さえてもらっただけで、お礼が三回。
喪女の会員さんに、こういうタイプは珍しくなかった。
お相手からの評判?すこぶるいいです。
喜ばせがいがあるって、誰もが口をそろえる。
そういえば、婚活パーティーの休憩中に、喫煙所の前を通りかかったことがある。
中から、男性参加者の笑い声が漏れてきた。
ああいう子は安上がりでいいよな。
背筋がゾワッとした。
喜んでくれる、が、ハードルが低い、に翻訳されていたわけ。
喜ぶのをやめろ、とは言いません。
あの無防備な喜び方は、隣にいる人まで幸せにするから。
でも、相手がそれを当たり前だと思い始めたら、一度だけ不機嫌な顔をしてみるといい。
そこで慌てる男は、まだ大丈夫。
面倒くさそうにする男は、あなたを安く見積もっている。
何も知らない子を育てたい、と言う男には近づかない
面談でこう言われたときは、さすがに身構えた。
僕、何も知らない人に一から教えてあげたいんですよね。
三十八歳、外資系の会社員。
清潔感があって、話し方も穏やかな人だった。
入会したての頃は、純粋な人がいいです、としか言っていなかった。
臆病な九人と、一字一句、同じ言葉で。
付き合い始めて一か月たった頃、相手の女性から電話が入った。
箸の持ち方を、直されたんです。
服も、髪型も、LINEの句読点の打ち方まで。
私のためを思って言ってくれてるんですけど、と彼女は彼をかばった。
電話口の声が、かすかに震えていたのを覚えている。
二時間話して、交際終了の手続きを取ってもらった。
はぁ…書いているだけで、肩がこってきた。
教えたがる男にとって、喪女のかわいさは白紙のかわいさ。
好きなように書き込めることに興奮しているだけで、書かれる側の人間には興味がない。
喪女のかわいさが届く相手は、女慣れした男という皮肉
鉛筆の彼と、図書館司書の彼女のお見合い
鉛筆で一行を書き足した彼にも、お見合いを組んだ。
相手は三十歳の図書館司書さん。
恋人がいたことは、一度もない。
条件だけなら、これ以上ない組み合わせだったんですよ。
ホテルのラウンジで向かい合った二人は、挨拶のあと、ろくに喋らなかったらしい。
カップを持ち上げては置く音だけが続く、三十分。
その晩、双方から結果の連絡が届いた。
どちらも、お断り。
理由まで、まさかの一致です。
相手が退屈そうにしていたので。
いやいや、二人とも緊張で固まってただけだから!
赤面を好意と読めるのは、場数を踏んだ男だけ
赤くなってうつむく。目が合わない。声が小さい。
恋愛経験の少ない男性には、これがことごとく、脈なしのサインに映る。
自分だって赤くなっているくせに、相手のそれは読めない。
これが現実だから、ややこしい。
一方、女性とそれなりに付き合ってきた男は、ちゃんと気づく。
あ、この人は今、緊張しているだけだな、って。
話すテンポを、ひとつゆるめてあげられる。
喪女のかわいさをきちんと受け取れたのは、こっち側の男たちでした。
とはいえ、慣れた男にも二通りいる。
彼女の歩幅に合わせて速度を落とす人と、ここぞとばかりにアクセルを踏み込む人。
見分ける材料は、急ぐかどうか。それだけ。
二回目のデートで部屋に誘う。
三回目には、もう友人に彼女だと紹介している。
こういう男にとって、喪女の不慣れは落としやすさの別名です。
かわいいと言いながら、頭の中では攻略の手順をなぞっているのよ。
恋愛経験がないとバレた瞬間、男の本性がのぞく
私なんて喪女なんで、は画面の中だけにしておく
ネットで喪女がかわいがられるのは、自虐がうまいからでもある。
あるあるネタに、自分でツッコむ。
画面越しなら、あれは立派な愛嬌です。
ところが、そのノリをお見合いに持ち込んだ途端、空気が止まる。
私なんて喪女なんで、と先に言われた男性は、返す言葉がない。
否定すればお世辞になるし、うなずけば失礼になる。
結局、愛想笑いでやり過ごして、その日はお開き。
自虐って、殴られる前に自分でパンチを入れておく防御なんですよ。
見せられる側は、人が自分を痛めつける場面を、ただ眺めるしかない。
笑えるわけがないでしょ。
交際経験ゼロは、自分から打ち明けなくていい
喪女の会員さんから、いちばん多かった相談がこれ。
交際経験がないこと、いつ言えばいいですか。
同僚のアドバイザーたちは、早めに正直に、と答えていた。
私の返事は逆。
言わなくていいです。黙っていても伝わりますから。
わざわざ打ち明けると、それだけで重大発表の場ができあがる。
相手は、気の利いた返しを探して目が泳ぐんです。
お会計のとき、財布を出すべきか迷って一瞬フリーズする。
経験のなさは、そういう小さな場面で勝手ににじみ出るもの。
気にするべきは、言うか言わないかじゃない。
気づかれたとき、相手がどんな顔をするか。
経験のなさに気づいて、にやける男と一緒に笑う男
三十二歳の会員さんの場合、きっかけはレストランのクロークだった。
コートを渡すタイミングが分からず、棒立ちになっていたんだって。
相手の男性は小さく笑って、こう言ったそう。
じゃあ次は、僕も行ったことのない店にしましょうか。
二人とも初めてなら、迷っても恥ずかしくないでしょ、と。
この二人、翌年には成婚退会していきました。
別の会員さんの交際相手は、身を乗り出してこう聞いてきた。
え、じゃあ俺が最初ってこと?
口元が、隠しきれずにゆるんでいたとか。
彼女はその晩、私に長いメッセージをくれた。
うまく言えないけど、なんか嫌だったんです、と。
その、なんか嫌、は当たっている。
経験のなさを知って浮き足立つ男が喜んでいるのは、あなたと出会えたことじゃない。
一番乗りの旗を立てられること、そっちのほう。
初々しさが切れたあと、喪女に残るかわいさ
趣味は読書と映画、と書いていた古墳好きの彼女
三十四歳、市役所に勤める会員さんがいた。
プロフィールの趣味欄には、読書と映画鑑賞。
面談で雑談をしていたら、休みの日は古墳を見に行ってます、とぽろっとこぼした。
それ、なんで書かないんですか!
引かれるに決まってるじゃないですか、と彼女は即答。
渋る彼女を一時間がかりで口説き落として、趣味欄を書き換えてもらった。
古墳の前で撮った写真も、一枚追加。
申し込みは、正直言って増えませんでした。
一人だけ、その写真について質問してきた男性がいたんです。
お見合いの席で、彼女は前方後円墳について四十分しゃべり続けた。
あとで届いた男性側の感想は、こう。
あんなに楽しそうに何かを話す人を、初めて見ました。
経験のなさより、夢中になれる力のほうが長持ちする
彼が惹かれたのは、恋愛経験のなさじゃなかった。
何かに夢中になっている時の、あの顔。
人の目を忘れて、好きなものに全身で向かっていく熱。
喪女の会員さんには、これを抱えている人がやたらといた。
ひとりの時間が長かったぶん、ひとつのことを掘る深さが違う。
初々しさは、慣れたら終わる。
熱のほうは、慣れても冷めない。
喪女がかわいいとされる理由のうち、信じていいのはこっちだけ。
恋愛に慣れようと焦るより、隠している熱を表に出すのが先。
喪女に惹かれる男性が、確かめておくべきこと
喪女に惹かれる自分に戸惑っている男性にも、ひとつ伝えておく。
その好みは、何もおかしくない。
見てほしいのは、心がどこを向いているか。
経験のなさなのか、その人自身なのか。
確かめ方は簡単。
その人が恋愛にすっかり慣れて、冗談を軽くかわすようになった三年後を想像してみる。
それでも隣にいたいと思えたなら、合格ですよ。
