自己肯定感が低い人の家庭環境を聞いて、毎回拍子抜けしていた
相談室で向かい合って、三十分くらい経った頃。
だいたい同じ言葉が出てくるんですよ。
親に怒鳴られた記憶とか、別にないんですけど。
ないんかい(笑)。
ネットで自己肯定感と家庭環境を調べると、出てくるのは毒親、否定される言葉、比較される兄弟。そういう話ばかり。読んでいる側も、自分の中にそういう記憶を探しに行く。
探して、見つからなくて、ぽかんとする。
あれ、じゃあ私がおかしいだけ?
ここからが一番しんどいところなんだよね。
殴る親も怒鳴る親もいなかった人が、いちばん多かった
婚活の現場にいた時、そのうち自分のことが好きになれないと口にした人を思い返すと、家庭が荒れていたケースは思ったより少数派だった。
共働きで、運動会にはちゃんと来てくれて、塾にも行かせてもらって。
虐待もネグレクトもない。
むしろ近所からは、いいご家庭ですねと言われるような家。
そこで育った人が、三十歳を過ぎて、私なんかが選ばれるわけないと言う。
この落差を何度も見ているうちに、世間で言われている話と現場がズレていることに気づいた。
理由が見つからない人ほど、自分を責めにいく
毒親という札を持っている人は、まだ楽なんです。
これは残酷な言い方かもしれないけど、原因に名前がついているというだけで、置き場所ができる。あの家のせい。あの人のせい。外に置ける。
札がない人は、置き場所がない。
全部、自分の性格の問題に回収されていく。
ズキッとくるでしょ。
私は生まれつき卑屈なんだ、という結論に着地してしまう人を、何人も見送ってしまった。あれは私の力不足だったと今でも思う。
褒められて育ったのに、自分を一ミリも信用できない
面談でいちばん記憶に残っているのは、褒められた記憶しかないと言い切った女性だった。三十四歳、大手企業の総合職、結婚相談所に入会して半年。
条件だけ見れば引く手あまた。
でも初回のお見合いの後、必ず自分から断る。
理由を聞くと、あの人には私より合う人がいるはずですから、と。
はぁ…。
すごいねは、採点表だった
彼女の家では、テストの点、部活の成績、進学先、就職先、全部に反応があった。良ければすごいね、えらいね。
悪いときは、何も言われない。
怒られないんですよ。ただ、静かになる。
これが効くんです。じわじわ効く。
何かを達成した自分には値札がつく。何もしていない自分には、値札がつかない。
だから、何の実績もない状態で人と向き合う場面が、いちばん怖くなる。
お見合いってまさにそれ。肩書きを外した本人を見られる場だから。
反抗する隙すらなかった家
もうひとつ。いい親すぎると、ぶつかれない。
反抗期って、あれ、親を困らせるためのものじゃないと思っている。
私はこれが嫌い、これは好き、と宣言して、相手の反応で検算する作業。
怒られる、揉める、和解する。この往復で、自分の好き嫌いに実感がついてくる。
親が理解のある人だと、揉めようがない。
好きにしていいよ、と言われて育つと、好きって何だっけ、という状態のまま大人になる。
婚活で、どんな人がタイプですかと聞かれて固まる人。だいたいここ。
優しい人、としか答えられない。
優しい人って、日本の婚活市場でいちばん役に立たない条件なのにね。
自己肯定感は上げなくていい。上げようとする人ほど、こじれる
ここで裏切るようなことを書く。
自己肯定感を高める方法を探している人には申し訳ないんだけど、私は現場で逆の結論に着いた。
上げなくていい。
低いまま、日常を回す方法を覚えたほうが、圧倒的に早い。
整えてから婚活します、と言った人は戻ってこない
入会面談で、まず自分を好きになってから頑張りますと言う人がいる。
心の準備が整ったら、本格的に活動しますと。
その準備期間、終わったのを見たことがない。
半年後に連絡すると、もう少しだけ、と返ってくる。
一年後には退会している。
自己肯定感って筋トレじゃなくて、天気みたいなものなんですよ。
今日は晴れ、明日は曇り。前日にどれだけ良い気分でも、翌朝には自分が世界一つまらない人間に見えたりする。
晴れるまで外出しないと決めたら、そりゃ出られない。
傘を持って出ればいいだけ。
低いまま結婚していった人たちの、地味な共通点
成婚していった人たちを思い出すと、自信満々の人はむしろ少なかった。
共通していたのは、隠さなかったこと。
三回目くらいのデートで、私、褒められるのがすごく苦手で、と自分から言っている。困りますよね、と笑って。
これをやられると、相手は身構えなくて済む。
逆に、自信があるフリを続けた人は、ある日プツンと切れる。
なんで分かってくれないの、と急に爆発して、相手が引く。
私、あの爆発の現場を何回も後処理しました。電話で。夜中に。
本当の問題は自信のなさじゃない。相手の選び方が事故を起こす
ここが核心だと思っている。
自己肯定感が低いこと自体は、そんなに困らない。
困るのは、その低さを埋めてくれる相手を無意識に選ぶこと。
君は特別だと言う男に、全員が吸い寄せられた
三十代前半の女性を担当していた。初回のお見合いから帰ってきて、頬が赤い。
あの人、私のことを本当によく見てくれていて、と。
何を言われたのか聞いたら、君は他の人と違う、と。
初対面で、その判定ができるわけないんだよね。
案の定、同じ台詞を複数の会員に配っていた。
自分に値札がつかないまま育った人は、値札を貼ってくれる人に一瞬で傾く。
好きになっているんじゃない。値札に反応している。
この区別ができるようになるだけで、婚活の事故率は半分以下になる。本当に。
優しさと管理は、途中まで同じ顔をしている
心配してるよ、から始まるやつ。
今日は誰と会ってるの。その服、俺は好きじゃないな。君のためを思って言ってる。
自己肯定感が低いと、この監視が愛情に見える。
私に関心を持ってくれている、と受け取ってしまう。
ざわざわするのに、嬉しい。この矛盾が厄介なんだよ。
見分け方をひとつだけ置いておく。
自分の意見を途中で変えたとき、相手が喜ぶか、困るか。
やっぱりこっちの店がいい、やっぱり今日は早く帰る。こういう小さな変更を出してみる。
気にしない人は、ふうん、で終わる。
管理したい人は、不機嫌になる。
一回で分かるので、やってみるといい。
親を許さなくていい。感謝もしなくていい
自己肯定感の記事、最後はだいたい親を許しましょうで終わる。
あれ、いらないと思っている。
許すって、こちらが差し出す行為でしょ。なんでこっちが差し出さなきゃいけないのか。
年末年始だけ実家に帰るのをやめた人の話
四十代の男性会員。帰省のたびに、まだ結婚しないのかと言われる。
悪気はないんです、と彼はかばう。
一度、今年は帰らなくていいんじゃないですか、と言ってみた。
そんなの親がかわいそうだと渋っていたけど、その年は帰らなかった。
三か月後。顔つきが違った。
別に何も解決してないんですけどね、と笑っていた。
胸のあたりがずっとざわついていたのが消えたんだと。
翌年、成婚退会した。因果関係は証明できない。でも私は関係あると思っている。
距離を置くのは、絶縁じゃない。
一回離れて、自分の音が聞こえるかを確かめるだけの話。
夜に考えがぐるぐるして止まらないなら、カウンセリングを使うのも同じ種類の選択肢。専門家に頼るのは、負けでも恥でもない。道具を使うだけ。
自分が親になって、ようやく分かったこと
私にも子どもがいる。
上の子が絵を描いて持ってきたとき、反射的にすごいねと言いかけて、口が止まった。
あ、これだ、と思った。
私は絵じゃなくて、上手さを褒めようとしていた。
慌てて、この青いところ好きだな、と言い直した。子どもはきょとんとしていたけど。
同時に、こうも思った。
うちの親も、たぶん必死だったんだろうなと。
共働きで、金もなくて、余裕なんかなくて。悪意でやってない。
でも、必死だったことと、こっちに残った傷は、別の勘定なんですよ。
向こうが頑張っていたから、こっちの痛みが消えるわけじゃない。
だから感謝は義務にしなくていい。出てきたときに出せばいい。出てこないなら、それはそれ。
家庭環境の影響は消えない。ただ、使い道は変えられる
消えます、克服できます、とは書かない。嘘になるから。
三十年かけて染みついたものが、記事を一本読んで剥がれたら苦労しない。
私も四十を過ぎて、いまだに人から褒められると反射的に否定してしまう。いやいや全然、と手を振ってしまう。ダサいなと自分で思う。
顔色を読む力は、市場価値がめちゃくちゃ高い
現場にいて気づいたこと。
お見合いで相手の地雷を踏まない人、会話の間を読める人、相手が疲れているのに気づける人。
この人たち、だいたい自己肯定感が低い育ち方をしている。
家の中で、誰かの機嫌を観測しながら生きてきたから、センサーが育っている。
本人はそれを、気を遣いすぎる性格だと呼んで嫌っている。
もったいない!
仕事でも重宝される能力だし、パートナーシップでも効く。問題は、そのセンサーを自分のためにほとんど使っていないこと。
他人の機嫌は読めるのに、自分が今しんどいかどうかは分からない、という人が本当に多い。
低いままで、生活はちゃんと回る
自己肯定感が高い人だけが幸せになる、みたいな話になっているけど、現場で見た限り、そうでもない。
自分のことを好きになれないまま結婚して、子ども産んで、ケンカして、普通に暮らしている人はいくらでもいる。
低いことを直そうとするから苦しくなる。
低いまま、傘を持って外に出る。今日も曇りだな、で済ませる。
それだけで、だいぶ違う。
あなたの家が、世間で言うところのひどい家じゃなかったとしても、しんどかったことは事実として残っていい。
証拠がないと痛がっちゃいけないなんて、誰が決めたんだか。
