その感情、やめてみる
スーパーで、値札を二回見る。
友達のインスタに写る旅行先。
子どものお稽古の話になったとき、少しだけ会話から降りる自分。
なんでうちだけ
その夜、隣で寝ている夫の顔を見て、胃のあたりが重くなる。
夫を悪く言っている気がして、口に出せない。友達にも言えない。実家の親には絶対に言えない。
お金がないことと、みじめさは別物だった
七年間、結婚相談所で年収の数字を毎日扱ってきた人間として、はっきり言えることがある。
世帯収入とみじめさの相関は、思っているより弱い。
成婚後の会員さんを追っていて、収入が高いのに家庭が荒れている例をいくつも見ました。逆に、収入が低くても穏やかな家もあった。
差が出ていたのは金額じゃない。
夫がその状況をどう扱っているか、そこだけでした。
みじめさの正体は、比較じゃない
多くの記事は、他人と比べるのをやめましょうと書く。
無理でしょ、そんなの。比べないなんてできない。
だから別の角度から書きます。
惨めさが立ち上がる、決まった瞬間
相談を受けていて気づいたのは、みじめだと感じる瞬間には型があるということ。
金額そのものを見たときじゃないんです。
自分が我慢しているのに、夫がそれを認識していないと気づいた瞬間。
ここに一致していた。
食費を削っている。美容院を三ヶ月に一度にしている。服を買っていない。
その努力の存在を、夫が知らない。あるいは知っていて、何も言わない。
そのとき初めて、惨めさが立ち上がる。
お金がないより、認識されていないことが刺さる
つまり問題は経済じゃなくて、認識の非対称なんですよ。
片方だけが調整して、片方はその調整の上で暮らしている。
この状態が続くと、努力している側は自分が一段下にいるように感じ始める。
これは収入がいくらであっても発生します。年収が高い家でも、妻だけが我慢していれば同じことが起きる。
だから金額を上げても、この感情は消えないことがある。
相談所で見た、二種類の低収入の夫
年収三百万で、成婚した男性
三十代後半、年収三百二十万の男性会員がいました。相談所ではっきり言って厳しい数字です。
彼はプロフィールに年収を正確に書いて、お見合いの初回でこう言っていた。
今の収入では、二人で暮らすには足りないと思っています。だから、どこを削ってどこを残すかを一緒に決めたいです。
私はこの台詞を初めて聞いたとき、正直、失敗すると思いました。重すぎるって。
四回目のお見合いで交際に入り、成婚。
相手の女性が言っていた言葉が忘れられない。
足りないって自分から言える人だったので、これから足りなくなっても大丈夫だと思いました。
年収八百万で、三年決まらなかった男性
同じ時期に、年収八百万の男性会員がいました。数字だけなら相談所で最上位クラス。
彼は三年間、決まりませんでした。
女性側の感想が、毎回同じ方向だった。
お金の話をすると、少し不機嫌になる感じがして。
彼は自分の収入を評価されることを嫌っていました。気持ちはわかる。数字で人を見られるのは不快でしょう。
ただ、その拒否感が全部の会話に出ていた。生活費の分担、住む場所、将来の教育費。触れるたびに空気が固まる。
女性が感じ取っていたのは、この人とはお金の話ができない、という一点でした。
金額じゃなかったんですよ、最後まで。
言い方を変えれば夫は動く、という嘘
伝え方の工夫で収入は上がらない
夫を傷つけない伝え方、みたいな記事が山ほどある。
私はあれ、半分は害だと思ってます。
言い方を工夫すれば夫が発奮して収入が上がる、という前提が雑すぎるから。
上がりません、たいていは。
上げられるなら、とっくに上げてる。本人がいちばん、その事実と毎日向き合ってる。
だから収入を上げる方向の会話は、うまくいく確率が低い。
それより先に、家計の情報を開く
現実的に効いていたのは、こっちでした。
妻がどこを削っているかを、夫に見せる。
数字で。責める文脈を一切入れずに。
今月ここが足りなくて、私はこれをやめてる。この事実だけを共有する。
これをやった家庭では、夫の行動が変わることが多かった。収入は変わらなくても、支出の判断に参加し始める。
参加した瞬間に、妻の孤独が減るんです。
惨めさの源が孤独なら、これで薄まる。
それでも動かない夫は、収入の問題じゃない
ただし、ここまでやって何も変わらない夫もいます。
数字を見せても、他人事の顔をしている人。
その場合、問題は低収入じゃありません。生活を一緒に運ぶ気がないという、もっと大きな話になる。
低収入は改善の余地がある。当事者意識の欠如は、正直、かなり難しい。
ここを混同すると、いつまでも解けない。
私自身が、比べて落ちた話
同期の家に行った日のこと
自分の話も書きます。
子どもが小さかった頃、同期の家に呼ばれたことがあります。
広いリビング、対面キッチン、庭。玄関を入った瞬間に、自分の家の狭さが頭に浮かんだ。
帰り道、電車の窓を見ながら、なんで私はこっちなんだろうと本気で思いました。
はぁ…あの日の帰り道の重さ、今でも覚えてる。
家に着いて、夫が何も知らずに子どもと遊んでいるのを見て、余計に苛立った。
何も悪くない人に、腹が立つ。あれが一番しんどい。
数ヶ月後にわかったこと
その同期、翌年に離婚しました。
理由は詳しく聞いてない。でも、家の広さと家庭の中身は無関係だったという事実だけが残った。
私が羨ましがっていたのは、玄関から見えた範囲だけだったんです。
それに気づいてから、比べることをやめたわけじゃない。今でも比べてます。人間だし。
ただ、比べる対象が見えている範囲だけだと知っていると、感情の持続時間が短くなる。
それでも状況を変えたいなら
夫の収入より、自分の裁量が効く
身も蓋もないけど、これが現実です。
夫の収入は、こちらからコントロールできない。
自分の収入は、多少はできる。
みじめさが薄れた人を見ていると、多くが自分の稼ぎを持ち始めた人でした。金額は関係ない。月三万でも変わる。
理由は、経済的な余裕じゃなく、自分で決められる金額があるという事実のほう。
美容院に行くかどうかを、夫の収入と関係なく決められる。この裁量が惨めさを削る。
それが無理なときは、支出の一部だけ手放す
働ける状況にない人もいる。介護、育児、体調。
その場合は、我慢している項目のうち一個だけ復活させる。
全部は無理でも、一個。
削り続けている状態そのものが、感情を作っているから。一箇所だけ穴を空けると、少し呼吸ができる。
罪悪感が出るなら、その分どこかを削ればいい。トータルが同じなら、家計は壊れない。
年収の数字を毎日見ていた人間の結論
七年、私は人の年収を数字として扱う仕事をしていました。
プロフィールに書かれた金額で、会うか会わないかが決まる世界。ひどい話だと思いながら、それを運用する側にいた。
辞めて、自分が家庭を持って、思うことがあります。
数字が高い家庭が幸せそうだった記憶が、あんまりないんですよ。
覚えているのは、あの年収三百二十万の彼が成婚の報告に来たときの顔。奥さんと二人で来て、これから引っ越す部屋が思ったより狭かったって、げらげら笑ってた。
足りないことを二人で笑える状態。あれが全部だった気がする。
みじめだと思う日があっても、それは夫の年収があなたに与えた感情じゃない。一人で調整していることが、そう感じさせてる。
今夜、削っているものを一個だけ夫に話してみるのは、悪くない手だと思う。
