ヤンデレって、アニメの話だと思ってた
ヤンデレという言葉を知ったのはいつだったか、正確には覚えていない。病む+デレを組み合わせた造語で、好きな人への執着が異常なほど強く、感情が激しく揺れるキャラクターを指す言葉だというのは、相談所に勤めてしばらくしてから知った。それまでは正直、アニメか漫画の話だと思っていた。7年間、現場を見てきた今だから言える。ぜんぜんそんなことはなかった。
アニメのヤンデレと現実の決定的なズレ
アニメのヤンデレは、まず絵が綺麗だ。狂気が美しく演出されていて、ナイフを持っていても画になる。見ている分には怖いけど、どこか魅力的に映る。フィクションの中でヤンデレが愛されているのは、そういう美化があるからだと思う。
現実は全然違う。地味で泥臭い。ナイフじゃなくてLINEの既読スルーで崩壊する。相手が2時間返信しなかっただけで浮気を確信して、職場に電話をかける。着信が20件以上入る。それでも「心配だったから」と言う。そこに美しさはない。ただただ、しんどい。
ヤンデレという言葉にはどこか、苦しいほど深く愛してる、という誤解がくっついている。でも実際には、相手を消耗させる愛し方だ。じわじわと、確実に。
相談所で出会ったリアルな話
ある女性会員のことを今でも思い出す。Aさんは真面目で仕事もでき、外見も整っていて、お見合いの場でも評判が良かった。活動を始めてすぐに交際に発展して、順調だと思っていた。
ところが交際から3ヶ月ほどで、お相手の男性から相談が来た。毎晩3時間以上通話しないと機嫌が悪くなる、仕事終わりにすぐ連絡しないと着信が20件以上入っている、と。
聞いてみると、LINEの既読がついた瞬間から返信を待ち続けて、5分かかると「何かあった?」が来る。10分で「怒ってる?」、30分で「もういい」、1時間後に無言電話。このサイクルが毎日だったらしい。ズドンとくるものがあった。これはもうコミュニケーションじゃない。
ヤンデレが生まれる心理、その根っこ
愛着の不安定さという話
心理学の専門家でもないし、難しい理論を語るつもりもない。ただ、7年間の現場で感じたことはヤンデレ的な愛し方をする人の多くは、幼い頃から「自分は本当に愛されているのかどうかわからない」という不安を抱えて育っていることが多かった。
愛着は、子どもの頃に親や養育者との関係の中で形成されるもので、それが不安定なまま大人になると、パートナーへの過剰な執着という形で噴き出すことがある。全員がそうじゃない。でも、無視できないほどのパターンが、現場には確かにあった。
怖いのは、本人が悪意を持っていないことだ。むしろ懸命に愛しているつもりでいる。「これだけ好きなのに伝わらない」という焦りが、行動をさらにエスカレートさせる。悪循環が静かに回り続ける。
嫉妬と支配欲、どこで交わるのか
嫉妬自体は誰にでもある感情だ。問題はその先の動き方だと思う。「ちょっと不安だな」で止まれる人と、「確認しなければ気が済まない」に走る人では、恋愛の景色がまるで変わる。
確認したい衝動が止まらなくなると、今度は相手の行動を管理しようとし始める。スマホを見たがる。友人関係に口を出す。「あの人とは連絡しないで」と要求する。本人の中では愛してるから、だけど、外から見ると支配だ。その自覚がない場合が、一番厄介だった。
ぞわっとするのは、相談所という場でこういった傾向が剥き出しになりやすかったことだ。婚活は、人の愛着パターンが表面に出やすい場所でもある。普段は抑えられていても、好きな人ができた瞬間に一気に溢れてくる人を、何人も見てきた。
ヤンデレ気質の相手と付き合うとどうなるか
最初が甘すぎる罠
ヤンデレ的な人との交際は、最初が甘すぎる。毎日連絡が来る。誕生日を完璧に祝ってくれる。「あなただけ」という言葉を惜しみなくくれる。その濃度が心地よくて、はまってしまう人が少なくない。
でも、その濃さの裏側で、気づかないうちに自分の行動が少しずつ制限されていく。友人との飲み会に行きにくくなる。仕事の帰りが遅いと責められる。最終的には、相手の感情を安定させることが自分のメインタスクになってくる。
抜けようとすると、「死ぬ」「消えたい」という言葉が出てくることもある。情と罪悪感で引き止められる。好意が鎖になる瞬間というのが、現実には確かにある。これが一番きつい。
相談所で見た別れ話の修羅場
交際破談になると、アドバイザーは双方から話を聞く。片方が終わりにしたいと言って、もう片方が理由を何度も求めてくるケースは、珍しくなかった。
一度だけ、ロビーで双方が鉢合わせしてしまったことがある。女性がぼろぼろ泣いていて、男性がひたすら「話したい」と繰り返していた。スタッフ総出で対応した。どちらも悪くない。愛し方が噛み合っていなかっただけで、こんなにもぐちゃぐちゃになる。
恋愛って、本当に怖い。
ヤンデレを「かわいい」と消費する文化の危うさ
言葉が軽くなると、現実が見えなくなる
最近、相手の執着行動をヤンデレと呼んで茶化したり、逆に「私ってヤンデレだから♡」と自キャラ化する文化があるように見える。別に責めるつもりはない。でも一言だけ言わせてほしい。
実際にヤンデレ的な関係に巻き込まれた人は、それを笑えない。怖かった、と語る人を私は何人も見ている。言葉が軽くなるほど、現実の深刻さが見えにくくなる。アニメのキャラクターとして消費されているうちに、それがリアルな関係の中でどれほど苦しいものかが、すっぽり抜け落ちていく。
ヤンデレに惹かれてしまう側の心理も見逃せない
これはあまり語られないことだけど、ヤンデレ的な相手に惹かれる人にも、一定のパターンがある。「こんなに必要とされている」という感覚が、自己肯定感の低い人には心地よく響くことがある。自分が誰かにとって絶対的な存在だ、という感覚はある種の麻薬に近い。
相談所で見てきた中で、ヤンデレ的なパートナーと何度も交際を繰り返す人がいた。都度しんどくなって終わるのに、また似たような人を選んでしまう。そのパターンに気づくまでに、ずいぶん時間がかかっていた。愛し方の問題は、選び方の問題でもある。
自分がヤンデレかもしれないと感じたら
診断より先に確認すること
ネットには「ヤンデレ診断チェック」みたいなものが溢れている。でも、ラベルを貼ることに意味はあまりない。大事なのは、自分の行動が相手にどう届いているかを知ること、それだけだ。
正直に自問できるなら、一つだけ確認してみてほしいことがある。相手が連絡をくれないとき、自分はどう動いているか。不安になるのは当然だ。でもその不安への対処が、相手への圧力になっていないか。そこだけを見てみてほしい。
自分のことを「愛し方が重い」と薄々感じている人は、その自覚がある時点でちゃんと内省できている。本当にまずいのは、全く疑問を持たないまま突き進んでいるパターンだ。
パートナーへの不安を「行動」で解消しようとするクセ
不安になったとき、確認の連絡を入れることで安心しようとするのは、一見自然に見える。でも実際には、確認するたびに「確認しないと不安が消えない」という回路が強化されていく。行動が不安を解消しているんじゃなくて、不安を維持してしまっている。
Aさんがカウンセリングの中で気づいたのも、まさにそこだったらしい。不安を感じた瞬間に動く癖が、ずっと続いていたと。動かずに不安を感じたままでいる練習を、ゆっくりやり直したと言っていた。
ヤンデレを治すより先にやること
治す、という言葉はあまり好きじゃない。人格を矯正するような響きがある。でも、ヤンデレ的な愛し方が自分にも相手にも苦しいなら、向き合っていく必要はある。
Aさんは交際が破談になったあと、しばらく活動を休止してカウンセリングに通い始めた。その後再開した活動では、以前とは明らかに変わっていた。相手への連絡の頻度を自分でコントロールできるようになっていたし、「不安になっても、すぐ動かないように練習しています」と笑っていた。その笑顔がちょっとだけ、たくましかった。
全員がそうなれるわけじゃない。でも、自分の愛し方に気づいて、どうにかしようとしている人を、私は何人も見てきた。
ヤンデレという言葉がアニメのキャラクター設定で終わらないのは、それが誰かの現実の話でもあるからだ。愛し方は、変えられる。ただし、ものすごく時間がかかる。
