多幸感とは、どんな瞬間に感じるものなのか。プロポーズされた瞬間、結婚式のあの日、旅行先での特別な夜。そういう、大きくて分かりやすい瞬間を思い浮かべた人が、多いと思う。
そして、そういう瞬間が減ってきた今の自分の結婚生活を、あれ、幸せだったっけ、と、静かに疑ってる人も、この中にいるかもしれない。
多幸感を、派手な瞬間だけで探してしまう
多幸感、という言葉を聞くと、体の内側が弾けるような、はっきりした高揚感を思い浮かべる人が多い。心臓がドキドキして、顔がにやけて、誰かに話したくなるような、あの感覚。
だから、幸せを測る時、多くの人は、そういう派手な瞬間の有無で、自分の結婚生活を採点しようとする。最近、ときめく瞬間がない。特別なイベントもない。だから、幸せが減ってきたんじゃないか、と。
でも、この探し方自体が、実は、見当違いの場所を捜索してることがある。
幸せには、二種類ある
跳ね上がる幸せは、必ず落ちてくる
一つ目の幸せは、跳ね上がるタイプ。プロポーズ、サプライズ、旅行の絶景。心拍数が上がって、興奮が体中を駆け巡る。
ただし、このタイプの幸せには、構造上の宿命がある。跳ね上がったものは、必ず、落ちてくる。ジェットコースターの頂上が、永遠に続かないのと同じ。体は、高揚状態をずっと維持できるようにはできてない。落ちてくること自体は、失敗でも、愛情の減少でもなくて、ただの物理法則みたいなものなんだ。
低く続く幸せは、落ちない代わりに、目立たない
二つ目の幸せは、跳ね上がらない代わりに、落ちもしない。低い音量で、ずっと鳴り続けてるタイプの幸せ。
これは、安心感や信頼感に近い場所から来てる。ドキドキとは違う、じんわりした満足。地味だから、気づきにくい。派手な瞬間ばかりを探すレーダーには、この低い音は、そもそも引っかからないようにできてる。
結婚生活が長くなるほど、幸せの主成分は、一つ目から二つ目に移っていく。これは、幸せが減ったんじゃなくて、種類が変わっただけ。
本当の多幸感は、こんな地味な瞬間に出ている
成婚後の夫婦に、幸せを感じた瞬間を聞くと、返ってくる答えは、驚くほど地味だった。
朝、目が覚める前に、隣に相手がいる気配を感じた瞬間。仕事から帰って、玄関で相手の靴を見つけた時の、ふっと肩の力が抜ける感覚。何でもない話をして、相手が声を出して笑った瞬間。相手が台所で野菜を切ってる後ろ姿を、なんとなく眺めてる時間。
これ、誰かに話しても、特に盛り上がらないような、地味な瞬間ばかり。でも、聞いてる本人の顔は、話しながら、じんわり緩んでいく。あれこそが、本物の多幸感の顔だった。
相談所で見た、幸せを見失いかけた新婚夫婦
成婚から半年ほど経った夫婦が、面談に来たことがある。妻が、最近、なんだかドキドキしなくなって、これでいいのか不安になる、と話してくれた。
夫のこと、嫌いになったわけじゃない。喧嘩が多いわけでもない。ただ、あの、付き合いたての頃の高揚感が消えて、これって幸せなんだろうか、と疑問に思うようになった、と。
そこで、直近一週間で、少しでも心が動いた瞬間を、思い出してみてください、とお願いした。彼女は少し考えて、ぽつぽつ話し始めた。夜、疲れて帰ってきた日に、何も言わずにお風呂を沸かしておいてくれたこと。休日、二度寝してる自分を、起こさずにそっとしておいてくれたこと。話しながら、彼女の表情が、だんだん和らいでいった。
最後に、彼女はこう言った。ドキドキはしてないけど、たしかに、幸せだったかもしれません、と。彼女は、跳ね上がる幸せを探して、低く続いてる幸せを、見過ごしてただけだった。
私が多幸感を感じた、ある夜のこと
特別な出来事も何もない、普通の平日の夜だった。夫が、リビングでテレビを見ながら、一人でクスクス笑ってた。何がおかしいのか聞いたら、いや、別に、と、はぐらかされた(笑)。
その、しょうもない笑い方を、洗い物をしながら、ぼんやり眺めてた瞬間。特に会話もなく、ただ、そこに二人でいるだけ。なのに、胸のあたりが、じわっと温かくなった。
派手な出来事は何もない。でも、あの夜のあの数秒間、たしかに、多幸感と呼べるものが、そこにあった。
派手な瞬間を否定してるわけじゃない
誤解のないように言っておくと、跳ね上がる幸せが、価値のないものだと言いたいわけじゃない。プロポーズの日も、特別な旅行も、心から嬉しい瞬間として、大事にしていい。
ただ、それだけを幸せの基準にしてしまうと、日常の大半を占める、地味な時間の中の幸せを、見落としたまま生きることになる。跳ね上がる瞬間は、たまに来る、ボーナスみたいなもの。低く続く幸せこそが、生活の本体なんだ。
